国際バレエアカデミア
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TEL: 03-3377-7764

新しい進化へ ~国際バレエアカデミア

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沿革

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国際バレエアカデミアの沿革

2日本バレエのパイオニア、東京小牧バレエ団名誉団長 小牧正英(1911-2006年)は東宝・小林社長助成のもと、東宝専属小牧バレエ団として年間200回公演以上こなした時代もありました。昭和21年から今日までの間、栄枯盛衰は世の常、紆余曲折もありましたが、伝統を継承しつつ時代に合わせた活動をしてまいりました。

小牧正英が第二次大戦中に踊っていた上海バレエ・リュスは、フランス租界にあるライセアム劇場で公演していました。名プロデューサー、ディアギレフの死によって解散したバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)のメンバーや革命を逃れ亡命したロシア人ダンサー、イギリス、イタリアから参加した舞踊家たちで組織されていました。主に上演していたのはバレエ・リュスおよびマリインスキ劇場のレパートリーです。小牧正英はハルビンのバレエ学校を1939年に卒業後、上海バレエ・リュスの招聘を受けて1940年から46年の終戦までソリストとしてほとんどの作品を踊りました。1944年、「ペトルゥシュカ」の東洋初演で表題役を踊り、この時に芸名を小牧正英としました。この舞台はフランスの評論家(ニジンスキーの「ペトルゥシュカ」を直接見ている)から「主役のペトルゥシュカを踊っているのは誰だ?」「日本人のコマキというソリストです」「まるで、ニジンスキーが東洋人になって、戻ってきたようだよ」そう絶賛されました。以来小牧は上海一の人気を誇るダンサーとなり一躍名前が知れ渡りました。

小牧は上海より帰国(1946年4月)してまもなく1946年8月9日〜30日まで帝劇で行われた「白鳥の湖」全幕日本初演において演出・振付を担当し、センセーショナルな脚光を浴びました。それ以降も古典バレエ(「眠れる森の美女」「ジゼル」ほか)、近代バレエ(「シェヘラザード」「ペトルゥシュカ」「火の鳥」ほか)の数々を日本初演してまいりました。

小牧バレエ団の業績は皆様ご存知の様に輝かしいものでした。今では考えられないロングラン公演を行い、観客動員の記録を残し、戦後のバレエブームを起こしました。文部大臣賞をはじめ数々の賞を受賞しました。小牧が原動力になって我が国に於ける古典バレエの移植・普及の成功をみるに至ったと自負しております。その間、谷桃子(谷桃子バレエ団創設者)を筆頭に、太刀川瑠璃子(スターダンサーズ・バレエ団創設者)、小松原庸子(小松原庸子スペイン舞踊団代表)ほか、数多くの日本の舞踊界を代表する舞踊家・指導者を輩出しております。また岸恵子、十朱幸代ほか演劇・映画界においても多くの方々が小牧バレエ団でレッスンし巣立っていかれました。芸能界にも多大な影響があったことと思います。

国際バレエアカデミアの新たな歩み

1990年 小牧バレエ団の伝統を持続・発展させるため、かつての主要メンバー協力のもと、小牧正英を名誉団長、菊池唯夫を団長に「東京小牧バレエ団」として再スタート。
2009年 小牧正英、菊池唯夫の遺志を継ぐと共にさらなる発展を求め、多くの賛同者及び協力者のもと、バレエ団の運営母体として「特定非営利活動法人 国際バレエアカデミア」を設立。菊地宗をリーダーに伝統を踏まえ新たな歴史をスタートさせる。
2011年 小牧正英生誕100年記念公演「ペトルウシュカ」「シェヘラザード」を新国立劇場オペラパレスで行い大好評を博す。
2012年 日本・モンゴル国交樹立40周年記念公演(平成24年度文化庁国際芸術交流支援事業)をモンゴル国ウランバートルで行い、菊池宗が「モンゴル国文化文部大臣賞」受賞。
2015年 菊池宗が国際交流に特に顕著な成果があったとして外務省より「平成27年度外務大臣表彰」を受ける。
2017年 バレエ団・学園の名称を「国際バレエアカデミア バレエ団・学園」に改称。